珍しく書評です。成人漫画の。
なので18歳未満の人は読まないでください。
表紙の装丁が素晴らしい |
少し前に、幾花にいろ先生の単行本『丹』を本とデジタルの両方で購入しました。
『丹』はタンではなくあかと読みます。
幾花にいろ先生は愛読している雑誌comicアンスリウムで数年前から不定期で連載している漫画家で、王道の成人漫画とは趣の違う独自のセンスや描写で人気を博している作家さんのひとり。かくいう自分も掲載当初からの先生のファンで、掲載号と単行本はすべて持っている。
本作『丹』は3年前に出た初の単行本『幾日』に続いて2作目の単行本ですが、収録作品の掲載時期にはだいぶバラつきがあります。
本作は前作『幾日』発売時には掲載済みであったにも関わらずなぜか収録されたなかった数話と、アンスリウムで不定期連載していた『秘密』シリーズを完結までを収録していますが、『秘密』シリーズに関しては完結するまでに非常に時間がかかっており、初出が2017年2月号のアンスリウムvol.40で、完結が2021年8月号のvol.100です。全7話の連作で完結するまで4年半以上掛かっている。(その間続編をどれだけ待ち続けたか…)
そしてその最終話の完結直後に『丹』の発売が組まれていたことを察するに、『丹』は完結した『秘密』シリーズを連作として収録・完成させるために発行された単行本といっても過言ではないと思います。
漫画の内容について
幾花にいろ先生の作品は共通してどこか薄暗い空気を纏った男女の恋慕を描写している。またセックスシーンもエロティックにというよりも生々しく描写される傾向があり、一部人によっては不快感を催すようなシーンもある。(収録話だと『軟着陸』など)キャラデザも含め苦手は人はとことん苦手だとは思う。
成人漫画ではあるけれど、キャラクターである男女の感情描写、その裏にあるバックグラウンドを主軸に描こうとしている印象が強く、幾花にいろ先生の作品ではセックスシーンは飽くまでもそのキャラクターの人間性を描くためのワンシーンのひとつにしか過ぎない。
前作の『幾日』はラブコメディ的な要素も多く、王道のエロをベースに幾花にいろ先生の描くキャラクターが各ストーリー上で動いていく…という内容が多かったのですが、本作においては、主に女性キャラクターの感情や心理状態、それぞれの立場を深く描かれています。
(よりもっとダークな世界観で書く作家に咲次朗先生がいるけれどそれともちょっと違う気がする)
『秘密』『彼女の秘密』『それぞれの秘密』について
単行本のメインになる連作です。全7話。
あらすじ
何処にでもいるような童貞の青年弘樹には不相応な美人の彼女圭が居た。しかし付き合って1年も経過しているにも関わらず圭はセックスを拒んでおり、いまだ身体を重ねたことがなかった。ある日、そんな圭の態度に不満を漏らしていた弘樹は隣に住む幼馴染の基子となし崩し的にセックスしてしまう。更には圭の親友である里伊那にも誘惑され肉体関係を結ぶが、その直後圭に情事を目撃され問い詰められる。圭はセックスを拒絶していた今までの態度を謝罪し、自分を抱くように弘樹に要求するが……。
この『秘密』、事実だけ羅列して追いかけていくとただのラッキースケベに出くわしているだけのようにも見えるし、セックスシーンを差し引いて観測すると非常に内容が薄い話にみえてきてしまうかもしれない。だがそこにこの物語の本質があるように個人的には思う。
主人公である弘樹は主体性がなく流されやすい性格で、作中でも圭に度々指摘される。また主体性のなさ故に周囲の女子に誘惑されると圭への純粋な想いがあるにも関わらず結果的にセックスしてしまうという浅はかな登場人物として描かれている。弘樹に関しては読者の『視点』ではあるが物語上では大して重要な人物ではない、という少々特殊なポジションになっている。
一方で彼女の圭、幼馴染の基子、彼女の親友である里伊那については心理状態やそのバックグラウンドがより掘り下げられて描かれていることから、この『秘密』シリーズの物語は弘樹と圭というカップルが軸なのではなく、立場や思想のまったく違う女子が交錯する群像劇というのが本質だと思う。
彼女である圭はミステリアスな美人だがセックスを拒み続けているのには理由があり、それは中盤で理由が明かされる。弘樹のことは恋人として想っている素振りは見せるものの、それ以上の愛情表現は一切なく、身体を重ねた後も感情の疎通がうまくいかない。そもそも何故弘樹と付き合っているのかよく分からないような状態で物語からフェードアウトしていく。
幼馴染の基子は自宅ではルーズだが会社では日々仕事に忙殺されており、社会人としてのストレスのはけ口として弘樹を誘惑する。また弘樹に対して独占欲をもっており、いかに関心を圭ではなく自分に向けるかということ自体を楽しんでいる。ストレス解消に同僚とホテルに行く話(『それぞれの秘密』)もあるが、同僚には全く関心がなく弘樹だけには特別に執着している描写がある。
里伊那についてはもっとも心理的に入り込みづらい複雑なキャラクターであり、同性の親友である圭に対して強く歪んだ愛情をもっている。(バイセクシュアルかどうかは明言されていない)圭の彼氏である弘樹を懐柔することで圭を深く知ろうとしたり、圭への想いを誤魔化すために仕事先の客に抱かれている。一見ただ性に奔放な人物に見えるものの、圭の身体を見た際には弘樹に配慮するように促すなど圭に対しては人一倍気を使う面もある。(彼氏寝取ってるから本末転倒ではあるが…)
ただのラッキースケベストーリーならば理由も必然性もクソもないのだけれど、基子には弘樹に特別な独占欲があり性のはけ口であり、里伊那にとっては親友の恋人であるがゆえに懐柔したい、支配したいという対象になっている。それぞれにとって弘樹という人物は都合のいい玩具であり、結果的に肉体関係になった理由がある。それに対し、そもそも圭には彼氏として弘樹を繋ぎ止める理由がなく、漸くセックスを終えたあとも弘樹とうまくいかないのは当然なのだ。
そしてこの『秘密』シリーズの終幕は実にあっけないもので、最終話においてそのまま連絡をすることもなく圭と弘樹は別れ、弘樹は新しくできた恋人と充実した生活を送っているというもの。
この経過をすっ飛ばしたエンディングは非常に賛否の分かれるものではあるし、個人的にもやもやする部分がない訳ではない。掲載が長期になり最終話まで間が空きすぎてしまったという幾花先生本人の弁も見ると「こう終わらせるしかない」という意味では多少納得してしまう。逆にこの素っ気なさが妙に現実味があったりもする。
結果的に圭とうまくいかなかったことや結果的に基子、里伊那と浮気してしまったことで弘樹の頭の中には新しくできた彼女なばなとセックスしている最中でも過去のことがちらつき、集中できない。またその過去の自分の行いから他人を疑う権利などないという自戒をしている。
それを踏まえたうえで読み返すと、最後のシーンの『オレは今度こそうまくやるんだ』という独白に重みを感じることができるのではないだろうか。
この一連のシリーズ、惜しむらくは、『それぞれの秘密』で自身の内面的な部分がより深堀りされた基子と里伊那と違い、圭の潜在的な感情を読み解くエピソードが殆どなかったこと。少し上でも書いたけれど、そもそも何故圭は弘樹と付き合うことになったのか、その裏にある思考がほぼ分からないまま、ただの上手くいかなかった男女で終わってしまっている。圭というキャラクターについて説明するエピソードがもう1話ぶんでもあれば不明瞭な部分のもやもや感は少なかった気がする。
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