そういえば当時は人工芝こんな色でしたね |
約20年ほど前の話になります。
2000年か、2001年かハッキリ覚えていないのだけれど、そのどちらかの年。
当時父親が格別野球ファンでも何でもない僕と弟を連れて、わざわざ野球観戦をするために所沢にある西武ドームに連れて行ってくれた。
当時西武ライオンズに在籍するエース、松坂大輔を見るためだ。
もちろん、観に行った当日は松坂が先発予定の試合だった。
西武ドームのある狭山は埼玉ではあるものの、東京に近い場所にあり、群馬からは決して近い立地ではなかった。しかも山の中にある球場であり、周りが完全に森だったので結構驚いた記憶がある。
ちなみにプロ野球の試合はこの以前に東京ドームに一回だけ行ったことがあるものの、外野の5階席で非常に内野から遠い場所だったので、選手は米粒くらいにしか見えなかった。よって、選手が肉眼でしっかりと見える距離で観戦するのはこのときが初めてだった。
1塁側の内野席(※)で、ピッチャーの投げる球が横から見れる位置だったのをよく覚えている。
※当時西武ドームは1塁側がホーム、3塁側がビジターであり、現在とは逆だった。現在は球団施設の利便性を配慮して1塁側がビジター、3塁側がホームになっている。
初めて見るプロ野球選手のボールはとんでもなく速かった。
テレビ中継ではカメラがピッチャーの後方から録っている映像なので、140km/hのストレートでもリリースされてから緩やかな軌道でキャチャーのミットまで向かうように見えるが、あれは半分錯視のようなものだと思った。
実際は、18.8mあるマウンドからホームベースまでが一瞬だ。
ましてや、松坂の投げる球は150km/h以上のストレートなので更に速く感じる。
試合の内容はもうよく覚えていないが、松坂のとびっきり早い真っ直ぐの軌道だけが今でも脳裏に強く焼け付いている。
松坂のその後の活躍は説明するまでもなく、勝ち星を重ね、国際大会で活躍し、数年で日本で100勝以上を挙げ、満を持してメジャーリーグに移籍した。その後も順調な活躍をしていたものの、右肩を負傷。怪我してからのその後は、野球ファン以外では知る人も少ないだろう。
帰国後ソフトバンクに3年12億の契約で入団するも、肩の怪我でまったくボールを投げることができずそのまま戦力外。西武時代のコーチ、森繁和を頼りに中日ドラゴンズに拾われ6勝4敗の成績で復活。しかし翌年は振るわず2019年で中日を退団する。
そんな山あり谷ありの松坂だったが、先日古巣である西武ライオンズに復帰するとの報があった。
支配下枠が余っており、興行としての盛り上がりを期待する西武と、行き先の無い松坂の思惑が一致したものだと思われるし、ある種の予定調和的なストーリーだが、また松坂のピッチングが西武ドームで見れると思うと一瞬胸が熱くなった。
もちろん、来年で40歳になるかつてのエースは当時のような剛速球を投げることはできないだろう。しかし、またあの場所で松坂のピッチングを見たい。何かが起こる気がする。そう思ってしまうのはいささか過去の幻想だろうか。
来シーズン、もし松坂が1軍で投げるようなことがあれば、たぶん見に行ってしまう気がする。最後のシーズンになるかもしれない。だがもう一度、あの輝かしいピッチングを見せてくれると淡い期待を抱きながら。
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